世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?

・新しいビジョンや戦略も与えないままに、マジメで実直な人たちに高い目標値を課して達成し続けることを強く求めれば、行き着く先は一つしかありません。イカサマです。

・大規模な「イカサマ」に手を染めて破滅する企業の多くは、その直前まで「科学的経営管理」によって世間から称賛されているケースが少なくない。

・トップグループが先行しているのであれば、同じことをもっと安く、もっと早くできるように工夫して追いつくのが一番シンプルで有効な戦略であり、このような社会においては、目指すべきゴールを決め、それをいかに効率よく達成するかを考えるよりも、ただひたすらに頑張ることが求められ、実際にそうすれば成果が出ていたわけです。

・アップルという会社をIT企業と捉えるよりも、ファッションの会社だと考えた方がいいかもしれない。提供している最も大きな価値は「アップル製品を使っている私」という事故実現欲求の充足であり、「あの人は、そのような人だ」という記号だから。

このような社会において、論理と理性に軸足をおいたサイエンス主導経営は、競争力をやがて喪失していくことになる。求められるのは、外側に探していくような知的態度ではなく、提案していくような創造的態度での経営。

・現在起こっているのは「正解のコモディティ化」。ファクトベースのコンサルティングビジネスは、手法さえ学んでしまえば、一定レベル以上の知的水準にある人なら誰にでも提供可能なサービスだからです。

・ベネディクトの「菊と刀」によれば、世界の国は「罪の文化」と「恥の文化」の二つに大別される。道徳の絶対的基準を説き、良心の啓発に頼る社会は「罪の文化」。恥が主要な社会的強制力になっているところでは、告解僧に対して過ちを公にしたところで、ひとは苦しみの軽減を経験しない。「罪」は救済できるけど、「恥」は救済できない。「恥の文化」では告解という習慣はない。ただ「自分が所属している組織」において、他者が、自分の行動をどのように判断するかを想像しさえすればよく、他者が依拠しているルールや規範に沿って行動するのが懸命であり、さらには優秀である。

・「狭い世間の掟」を相対化し、その掟がおかしいと見抜く判断力を身に着けるか、一つは労働力の流動性を上げる。異文化体験を持つ。もう一つが、美意識を持つ。

・最適化していることで、様々な便益を与えてくれるシステムをその便益に拐かされずに、批判的に相対化する。これがまさに求められる知的態度だ。

・「すぐに役立つ知識はすぐに役立たなくなる」ので基礎教養が重要である。

・システムの内部にいて、これに最適化しながらも、システムそのものへの懐疑は失わない。システムの有り様に対して発言力や影響力を発揮できるだけの権力を獲得するためにしたたかに動き回りながら、理想的な社会の実現に向けてシステムの改変を試みる。

・「ある日神様がやってきて、鐘をガランガラン鳴らしながら、「今日から新しい時代が始まりますよ」というように転換するものではない」。なんとはなしに「このままでは何かがおかしい」と感じて行動をあらためる人が、少しずつ増えていくことで歴史というのは転換していくものなのです。