運も実力のうち?能力主義は正義か?

・不平等な社会で頂点に立つ人びとは、自分の成功は道徳的に正当なものだと思い込みたがる。能力主義の社会において、勝者は自らの才能と努力によって成功を勝ち取ったと信じなければならないということだ。

・現在のアメリカ政治で最も深刻な政治的分断の一つは、大学の学位を持っている人びとと持っていない人びとのあいだに存在する。

・能力に報いる社会は、上昇志向という面でも魅力がある。自分の成功は自分に制御できない力によるものではない、成功は自分のおかげであるという考え方だ。

・完全に流動的な社会は、二つの理由から、人を奮い立たせる理想となる。自分の運命を決めるのは生まれた環境でなく、自分自身であるべきだ。自分が獲得するものは、自分が値するものであってほしい。

能力主義の理想は不平等の解決ではない。不平等の正当化なのだ。

・功績と価値の違いを心に留めておけば所得の不平等もそれほど不愉快なものではなくなる。制度が不公正だったと慰めることができるが、功績によって選抜されることが明白ならよりどころは失われる。

・成功について我々が抱く概念を再考し、頂点にいるものは自力でそこに登り詰めたのだとする能力主義的うぬぼれに疑問を呈する。

・裕福な親は自らの特権を子供に移譲できる。有利な手段を持たない子供にとっては不公正であり、手段に絡めとられている子供にとっては抑圧になるからだ。

・野球やフットボールの投球能力という限定された才能でさえ確実な予測が難しいならば、社会や何らかの活動分野に広範かつ巨大な影響を将来及ぼす能力など予測できるはずがない。