限りある時間の使い方

最近の効率重視一辺倒が好きでなくて、見かけた時の書評に同意し読んでみる。

(自分の耳に心地よいことは聞きやすい、という状況にはなってる気はするが。。)

 

・さらに、それよりも厄介な問題がある。多くのタスクをこなせばこなすほど、期待値がどんどん上がっていくという問題だ。洗濯機や掃除機といった「省力化」のための家電が、実際には全く家事を楽にしなかったと指摘する。なぜかというと、家事のレベルに対する社会の期待値がぐんと上がり、家電による省力化のメリットを相殺してしまったからだ。「仕事の量は、完成のために利用可能な時間をすべて満たすまで膨張する」という有名な法則がある。「パーキンソンの法則」だ。

 

・一つひとつの決断は、目移りするほど素敵な可能性のメニューから何かを選べるチャンスなのだ。「あれ」ではなく「これ」をする、という前向きなコミットメントだ。自分にとって大事なことを、主体的に選びとる行為だ。「ほかにも価値のある何かを選べたかもしれない」という事実こそが、目の前の選択に意味を与えるのだ。

選べなかった選択肢を惜しむ必要はない。そんなものは、もともと自分のものではなかったのだ。

 

・退屈がつらいのは、単に目の前のことに興味がないからではない。退屈とは、「ものごとがコントロールできない」という不快な真実に直面したときの強烈な忌避反応だ。

デジタルデトックスをしたからといって、気晴らしへの欲求自体がなくなるわけではない。、、、、とにかく何でもいいから、大事なことに集中しないための方便を探しはじめるはずだ。要するに、僕たちの邪魔をするのは、気晴らしの対象ではない。嫌な現実から逃れたいという、僕たち自身の欲求だ。

 

・仮にあなたがうまく焦りをコントロールして、心の平穏を保つことに成功したとしても、世の中のみんなはそれほど呑気に待ってくれない。1時間以内に40通のメールに返信することが世の中のスタンダードになったなら、好むと好まざるとにかかわらず、そのペースに合わせなければ仕事を失うことになる。

 

・本来のノマド(遊牧民)は、孤独な放浪者ではなく、集団行動を重視する人たちだった。みんなで協力しなければ、生き延びることができないからだ。別にフリーランスや海外放浪が悪いわけではない。僕がいいたいのは、メリットだけでなくデメリットを直視しようということだ。個人の自由度が高まると、必然的に、自分の時間と他人の時間を合わせることが難しくなる。深い人間関係を築くために必要な、共同のリズムがない。

 

・同時に休暇をとる人の数に比例することがわかった。みんなが同じタイミングで休暇をとったほうが、みんな幸せになるということだ。家族や友人と一緒に休暇を過ごしたほうが、人間関係はうまくいく。これから休みをとろうというときに同僚が慌ただしく働いているよりも、オフィスが閑散としているほうが安心できる。

 

・生活や仕事のなかで、ちょっとした不快に耐えるのがいやで、楽なほうに逃げている部分はないか?、、、これらはすべて、自分が主導権を握っているという幻想を維持するための手段である。また、一見違うように見えるけれど、心配性もそれと大差はない。考えてもどうにもならないことをあれこれ心配して、あたかも自分がものごとを決める立場にいるかのような幻想にしがみついているだけだ。

たとえば、今の仕事を辞めるかどうかで悩んでいるとしよう。そんなとき「どうするのが幸せだろうか」と考えると、楽な道に流される。あるいは、決められずにずるずると引きずってしまう。一方、その仕事を続けることが人間的成長につながるか(大きくなれるか)、それとも続けるほどに魂がしなびていくか(小さくなるか)と考えれば、答えは自然と明らかになる。できるなら、快適な衰退よりも不快な成長をめざしたほうがいい。

 

ユングにいわせれば、個人の人生とは「みずから切り拓いていく道であり、誰も通ったことのない道」である。「次にすべきこと」を実行するのが、いつだって、自分にできる唯一のことだからだ。「それしかできない」ということは、裏を返せば「それしかしなくていい」ということだ。

 

・何かしらの結果を「望む」ということは、つまり自分の外側にある力に頼ることだからだ。それが政府であれ、神であれ、次世代の活動家であれ、どこかの誰かがなんとかしてくれるだろうというわけだ。「環境破壊が終わることを望んでいる、とみんな簡単に言う。だが、短期的には環境破壊が続くことを当然だと思っているし、それを食い止めるために自分で行動するつもりはないようだ」

 

・「誰かと一緒にいて面倒くさいとか退屈だと感じたら、まずは興味を持ってみること」。思い通りにしようとか、自分の言い分を通そうなどと考えずに、「目の前の人は誰だろう、どんな人だろう」と考えてみることだ。他人と一緒にいるかぎり、予測不可能なことは避けられない。だから、好奇心を味方につけたほうがいい。好奇心を持っていれば、相手の行動を自分の基準で判断せず、ニュートラルに受け入れることができるからだ。逆に好奇心を持たず、相手が「こうすべき」と考えていると、つねに失望や苛立ちを感じることになる。