なぜ働いていると本が読めなくなるのか

・黙読は日本語の表記も変えた。黙読の普及によって目で読みやすい表記という目標が出版界に生まれた。そうして普及したのが句読点である。

・大正時代、自らを労働者と区別しようとする「読書階層」ことエリート新中間層が登場した。それによって「修養(労働者としての自己研鑽)」と「教養(アイデンティティの自己研鑽)」のふたつの思想に分離した。

・月給制と月額払いは相性がいい。

・本をひとつひとつ選んでいる暇なんてない。そんなに高い本も買えない。だが教養に良さげな本は手に入れたい。そんな需要に対し。

・職場の人間関係の問題が頻繁に登場する。当時は余暇も職場の人と過ごしていたのだ。

オイルショック不景気後もその前の高度経済成長期の体制のままでよいと思ったか?逆にオイルショックがあっても耐えた経験から自信を持ったのだ。

・姿勢や態度の評価なんて、成果と比べればきわめて主観的なものになる。そこで自己啓発という概念を導入することで公平性を担保する工夫に出たのである。

・大卒エリートという意識は薄れ、入社後の昇進が注目されるようになった。出世コースの選抜においては処世術つまりコミュニケーション能力が重視されていた。

・文化的趣味に触れる姿勢の背後にある階級格差、学歴コンプレックスを埋める場。

いつの時代も大学ではない場で学ぼうとする人々には蔑みの視線が向けられるものらしい。

・「そういうふうにできている」ものを変えることはできない。だからこそ波の乗り方、つまり行動を変えるしかない。

・部屋(私的空間)を聖化することが好転することに直結するというロジック。社会(外部)が居心地の良くないもので埋め尽くされている。

・アンコントローラブルなものは捨て置き、コントローラブルな私的空間や行動こそが変革の対象となる。

・コントローラブルな娯楽は知らないノズルが入ってこない。対して読書は何が向こうからやってくるかわからない。

自己実現という言葉がある。想像するとなぜか仕事で自分の人生を満足させている様子を思い浮かべてしまうのではないか。

・「やりたいことが見つからない」若者や「やりたいことが見つかってもリスクの高い進路を選んでしまう」若者が増えていった。自己実現ワーカホリック、それが流動的な下層のサービス職である場合、非常に危険な状態であるということだ。

・社会的ヒエラルキーとは別に情報のヒエラルキー、情弱があり、ヒエラルキーの転覆性がある。

・読書して得る知識にはノイズ偶然性が含まれる。読者が予想していなかった展開や知識が登場する。

・コントローラブルなことに手間をかける。それがビジネスの役に立つ。「ノイズを排除する」現代的な姿勢を地でいく発言。

・自分の人生のコンバスを自分で決め、努力する。という自己決定自己責任論。一方で失敗しても自己責任だというのは為政者や管理職にとって都合の良いルールを制定しやすい。

・80年代以前のような、労働のために読書が必要な時代はもうやってこないだろう。

・景気が後退した時に人件費を減らさなくてはいけないとき、せっかく研修費などをかけた雇用者を解雇してはもったいない。雇用者あたりの残業代を減らすことで調整した。つまり残業代を支払うことを前提に組み立てられた。

バーンアウトと発するとき、密かな自画自賛と自分は悪くないという気分がある場合がある。

・仕事に全身のコミットメントを果たすことには、例えば家庭にコミットメントできないという結果を招くことがある。

・何かに全身全霊を傾けたほうがいいタイミングは、人生のある時期には存在する。しかしそれはあくまで一時期のことでいいはずだ。

・同じ仕事をこなすにしても、全身の男性雇用者5人の仕事量より、半身の多様な雇用者10人の仕事量を求めた方がドロップアウトを防げるのではないだろうか。

 

 

読後印象;英和辞書の電子辞書がで始めたころ、紙で調べると隣の単語も目に入り勉強になるという論調があった。情報と知識の違いか。