自律神経の科学-「身体が整う」とはどういうことか

・瞳を見て自律神経の活動を確認する方法。瞳孔括約筋は副交感神経につながっており、瞳孔は小さくなる。瞳孔散大筋は交感神経につながっており、瞳孔は大きくなる。

痛みや精神的興奮の場合は瞳孔が開く。瞳孔は皮膚への触刺激によっても広がります。

 

・昔から、料理や散歩など手足への刺激は、認知症の予防になるといわれてきました。手足への刺激が脳の血流を増やす。手足だけでなく、咀嚼や耳たぶなど顔面への刺激も、脳血流を増やすことが明らかにされています。

 

・自律神経の活動には、私たちの気持ちや生活習慣がしっかりと反映されます。ゆっくり休む(交感神経を休める)、少し歩く(交感神経を促す)など、生活習慣を少し変えてみることで自律神経系の働きを調整できるのです。

 

・ストレスを緩和し、交感神経の過度な活動を休める。体を動かし弱った交感神経の調整機能を活性化。自律神経症状が増えている原因のひとつとして、体を使わなくなったことが挙げられています。夜はしっかりと睡眠をとって、副交感神経の活動を高め、交感神経の活動を休めてあげましょう。目や耳など脳への負担を減らし、自律神経を休めましょう。超資本主義社会に無理にあわせる必要はありません。

 

・ストレスに伴う反応はfight(闘争)、flight(逃避)、freeze(すくみ)。新生児の情動は「興奮」「快」「不快」。5歳頃までに大人とおなじ17種類(人間科学論、佐藤優子ほか)の感情を持つといわれている。

 

・トイレに行くとリラックスするのは、膀胱の副交感神経が働くとアセチルコリンムスカリン受容体に作用し膀胱が収縮する。排尿時に働くのは副交感神経ということ。

限りある時間の使い方

最近の効率重視一辺倒が好きでなくて、見かけた時の書評に同意し読んでみる。

(自分の耳に心地よいことは聞きやすい、という状況にはなってる気はするが。。)

 

・さらに、それよりも厄介な問題がある。多くのタスクをこなせばこなすほど、期待値がどんどん上がっていくという問題だ。洗濯機や掃除機といった「省力化」のための家電が、実際には全く家事を楽にしなかったと指摘する。なぜかというと、家事のレベルに対する社会の期待値がぐんと上がり、家電による省力化のメリットを相殺してしまったからだ。「仕事の量は、完成のために利用可能な時間をすべて満たすまで膨張する」という有名な法則がある。「パーキンソンの法則」だ。

 

・一つひとつの決断は、目移りするほど素敵な可能性のメニューから何かを選べるチャンスなのだ。「あれ」ではなく「これ」をする、という前向きなコミットメントだ。自分にとって大事なことを、主体的に選びとる行為だ。「ほかにも価値のある何かを選べたかもしれない」という事実こそが、目の前の選択に意味を与えるのだ。

選べなかった選択肢を惜しむ必要はない。そんなものは、もともと自分のものではなかったのだ。

 

・退屈がつらいのは、単に目の前のことに興味がないからではない。退屈とは、「ものごとがコントロールできない」という不快な真実に直面したときの強烈な忌避反応だ。

デジタルデトックスをしたからといって、気晴らしへの欲求自体がなくなるわけではない。、、、、とにかく何でもいいから、大事なことに集中しないための方便を探しはじめるはずだ。要するに、僕たちの邪魔をするのは、気晴らしの対象ではない。嫌な現実から逃れたいという、僕たち自身の欲求だ。

 

・仮にあなたがうまく焦りをコントロールして、心の平穏を保つことに成功したとしても、世の中のみんなはそれほど呑気に待ってくれない。1時間以内に40通のメールに返信することが世の中のスタンダードになったなら、好むと好まざるとにかかわらず、そのペースに合わせなければ仕事を失うことになる。

 

・本来のノマド(遊牧民)は、孤独な放浪者ではなく、集団行動を重視する人たちだった。みんなで協力しなければ、生き延びることができないからだ。別にフリーランスや海外放浪が悪いわけではない。僕がいいたいのは、メリットだけでなくデメリットを直視しようということだ。個人の自由度が高まると、必然的に、自分の時間と他人の時間を合わせることが難しくなる。深い人間関係を築くために必要な、共同のリズムがない。

 

・同時に休暇をとる人の数に比例することがわかった。みんなが同じタイミングで休暇をとったほうが、みんな幸せになるということだ。家族や友人と一緒に休暇を過ごしたほうが、人間関係はうまくいく。これから休みをとろうというときに同僚が慌ただしく働いているよりも、オフィスが閑散としているほうが安心できる。

 

・生活や仕事のなかで、ちょっとした不快に耐えるのがいやで、楽なほうに逃げている部分はないか?、、、これらはすべて、自分が主導権を握っているという幻想を維持するための手段である。また、一見違うように見えるけれど、心配性もそれと大差はない。考えてもどうにもならないことをあれこれ心配して、あたかも自分がものごとを決める立場にいるかのような幻想にしがみついているだけだ。

たとえば、今の仕事を辞めるかどうかで悩んでいるとしよう。そんなとき「どうするのが幸せだろうか」と考えると、楽な道に流される。あるいは、決められずにずるずると引きずってしまう。一方、その仕事を続けることが人間的成長につながるか(大きくなれるか)、それとも続けるほどに魂がしなびていくか(小さくなるか)と考えれば、答えは自然と明らかになる。できるなら、快適な衰退よりも不快な成長をめざしたほうがいい。

 

ユングにいわせれば、個人の人生とは「みずから切り拓いていく道であり、誰も通ったことのない道」である。「次にすべきこと」を実行するのが、いつだって、自分にできる唯一のことだからだ。「それしかできない」ということは、裏を返せば「それしかしなくていい」ということだ。

 

・何かしらの結果を「望む」ということは、つまり自分の外側にある力に頼ることだからだ。それが政府であれ、神であれ、次世代の活動家であれ、どこかの誰かがなんとかしてくれるだろうというわけだ。「環境破壊が終わることを望んでいる、とみんな簡単に言う。だが、短期的には環境破壊が続くことを当然だと思っているし、それを食い止めるために自分で行動するつもりはないようだ」

 

・「誰かと一緒にいて面倒くさいとか退屈だと感じたら、まずは興味を持ってみること」。思い通りにしようとか、自分の言い分を通そうなどと考えずに、「目の前の人は誰だろう、どんな人だろう」と考えてみることだ。他人と一緒にいるかぎり、予測不可能なことは避けられない。だから、好奇心を味方につけたほうがいい。好奇心を持っていれば、相手の行動を自分の基準で判断せず、ニュートラルに受け入れることができるからだ。逆に好奇心を持たず、相手が「こうすべき」と考えていると、つねに失望や苛立ちを感じることになる。

開発戦略は「意思決定」を遅らせろ!

比較対象のダメ側は本当に初期に全部決めてしまっての例で、やりすぎ感があり、それと比すると確かに「意思決定」は遅らせるべき。

一方で、書いてある通りに実践しようとすると、トレードオフ曲線をキチンと作成するのでそこまでできるかは、技量と相談。

リーン開発とは言われていないけど、「こうやって決めていきます」をレビューかけるのは微妙に近い気がする。

期待値ほど新しい知見は得られなかったけど、所属部署はそこまで悪手を取ってはいないとは自覚できたかな?

宇宙へ行きたくて 液体燃料ロケットをDIYしてみた。

作者はあさりよしとおさんで、作家であるので読ませる文章。

2013年8月10日の「すずかぜ」打ち上げまでの話。

理系であればできそう、やりたくなる内容。

*[メモ]ポッドキャストで聞いたもの

・自由エネルギー原理(-log PS)

・サプライズを嫌うので、長期的なサプライズを減らすために短期的なサプライズをこなす。

・知らないことがたくさんなのは、エントロピーが大きいので、新しいことをして知らないことをつぶしこみ、エントロピーを減らす。

・10^-3秒で知覚。10^0秒(1秒)で学習し符号化。10^6秒(10日)で神経発達して最適化。10^15秒で進化(3171万年?)。

・学び(情報)と食べ物(エネルギー)がエントロピーを下げる。

暇と退屈の心理学

・暇、退屈から抜ける要素の一つに自主的な感情面がある。(読み直しで文面を抽出しきれなかた。)

・人生を好転させるチャンスというのは、暇と退屈を感じたときは、現状が良い状態ではないという「気づき」が得られるという視点。退屈は私たちに意味の欠如を警告してくれる。

・第9章至高の”フロー体験”とあるように、フロー(没頭)が良いこと。

・スキルと課題のバランスがちょうどよい/コントロールが最適ゾーン/目標設定が明確な具体的目標/集中が極度の集中/自己意識が自己消失/努力が努力不要/動機付けが人間固有/時間がゆがんでいる。をフローの指標としている。

チクセントミハイによるフローの定義。

・ラジオ、テレビ、インターネットで情報が過多になった現在ほど退屈になった。

・退屈に襲われるのは、何かをしたいのに、その場で与えられた選択肢にやりたいことが一つもなく、前向きになれないときだ。

・退屈の定義が「心的に没頭したいという欲求が満たされないこと」であるなら、注意のスキルが劣っていることを退屈の原因と考えるのは理にかなっている。

・退屈している子どもは、世の中にはすることがたくさんあるとわかったうえで、自分を満足させてくれるものを求めているのだ。

・人生の意味や目的が感じられているとき、世界に没頭するための選択肢は明らかで、必然的に決まる。それに対し、意味や目的がなくなると、行動の選択肢の価値や重要性は次第に消えていく。特に何かをする理由がない場合、ほかのことでなく、ある特定のことをする理由を見つけるのは困難になる。意味が人間を行動へと駆り立てるのは、その行動が重要性をもつからだ。人生の意味を失えば、私たちは方向性を失い、欲求にとっての難題にはまり込み、退屈する。

・意味の創造につながらない、退屈を抑制する方法は、常にいくつも存在する。。。だが、理性的に考えれば、実はこうした気晴らしへの執着が、退屈をさらに切迫した問題にしているとわかるだろう。

・孤独と退屈の共通点は、どちらも、世界への没頭を喪失した状態の表れであることだ。退屈した状態は一つのシグナルで、その人は精神的に満たされる必要があり、スキルや才能を発揮できる活動に取り組む必要があることを、本人に知らせているのだ。

・退屈のメッセンジャーが到着したら、まず一回深呼吸し、あなたの注意を支配する可能性がある外部の力を追い出し、自分の限界を受け入れ、主体感を満たす活動を追求するのがいいだろう。何かがあなたに代わってそれをしてくれるといった、簡単で万能な方法はない。。安易な答えの代わりに、次のような原則を提案しておこう。あなたの要求や目標を曖昧にするのではなく、明確にする活動を探す。あなたの価値、つまりあなたにとって重要なことを表現する目標を追求する。そのこと自体を目的にして行動する。

・退屈はシンプルだが奥深い質問を私たちに突きつける。つまり、あなたは何をするのか、ということだ。この質問にこたえなくてはいけない。これよりも重要な問いはないに等しいのだから。