暇と退屈の心理学

・暇、退屈から抜ける要素の一つに自主的な感情面がある。(読み直しで文面を抽出しきれなかた。)

・人生を好転させるチャンスというのは、暇と退屈を感じたときは、現状が良い状態ではないという「気づき」が得られるという視点。退屈は私たちに意味の欠如を警告してくれる。

・第9章至高の”フロー体験”とあるように、フロー(没頭)が良いこと。

・スキルと課題のバランスがちょうどよい/コントロールが最適ゾーン/目標設定が明確な具体的目標/集中が極度の集中/自己意識が自己消失/努力が努力不要/動機付けが人間固有/時間がゆがんでいる。をフローの指標としている。

チクセントミハイによるフローの定義。

・ラジオ、テレビ、インターネットで情報が過多になった現在ほど退屈になった。

・退屈に襲われるのは、何かをしたいのに、その場で与えられた選択肢にやりたいことが一つもなく、前向きになれないときだ。

・退屈の定義が「心的に没頭したいという欲求が満たされないこと」であるなら、注意のスキルが劣っていることを退屈の原因と考えるのは理にかなっている。

・退屈している子どもは、世の中にはすることがたくさんあるとわかったうえで、自分を満足させてくれるものを求めているのだ。

・人生の意味や目的が感じられているとき、世界に没頭するための選択肢は明らかで、必然的に決まる。それに対し、意味や目的がなくなると、行動の選択肢の価値や重要性は次第に消えていく。特に何かをする理由がない場合、ほかのことでなく、ある特定のことをする理由を見つけるのは困難になる。意味が人間を行動へと駆り立てるのは、その行動が重要性をもつからだ。人生の意味を失えば、私たちは方向性を失い、欲求にとっての難題にはまり込み、退屈する。

・意味の創造につながらない、退屈を抑制する方法は、常にいくつも存在する。。。だが、理性的に考えれば、実はこうした気晴らしへの執着が、退屈をさらに切迫した問題にしているとわかるだろう。

・孤独と退屈の共通点は、どちらも、世界への没頭を喪失した状態の表れであることだ。退屈した状態は一つのシグナルで、その人は精神的に満たされる必要があり、スキルや才能を発揮できる活動に取り組む必要があることを、本人に知らせているのだ。

・退屈のメッセンジャーが到着したら、まず一回深呼吸し、あなたの注意を支配する可能性がある外部の力を追い出し、自分の限界を受け入れ、主体感を満たす活動を追求するのがいいだろう。何かがあなたに代わってそれをしてくれるといった、簡単で万能な方法はない。。安易な答えの代わりに、次のような原則を提案しておこう。あなたの要求や目標を曖昧にするのではなく、明確にする活動を探す。あなたの価値、つまりあなたにとって重要なことを表現する目標を追求する。そのこと自体を目的にして行動する。

・退屈はシンプルだが奥深い質問を私たちに突きつける。つまり、あなたは何をするのか、ということだ。この質問にこたえなくてはいけない。これよりも重要な問いはないに等しいのだから。