働きたくないイタチと言葉がわかるロボット

人工知能から考える「人と言葉」

・「言葉が分かるとはどういうことか」そういうことの解説。

・ロボットは、僕らのために働いて、僕らに楽をさせてくれるためにあるものでしょ?それなのに、僕らがロボットのために働いてどうするの!?

・第一に「人間は言葉を習得するとき、生まれた後で接する言葉だけを手がかりにしているわけではない」第二に人間が「言葉についてのメタな認識をもっている」第三に「他人の知識や思考や感情の状態を推測する能力を持っている」

 

割と始めのほうから解説されており、理解が進みやすい。読み返しはしないけど、一度読んでおいてよかった。

世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?

・新しいビジョンや戦略も与えないままに、マジメで実直な人たちに高い目標値を課して達成し続けることを強く求めれば、行き着く先は一つしかありません。イカサマです。

・大規模な「イカサマ」に手を染めて破滅する企業の多くは、その直前まで「科学的経営管理」によって世間から称賛されているケースが少なくない。

・トップグループが先行しているのであれば、同じことをもっと安く、もっと早くできるように工夫して追いつくのが一番シンプルで有効な戦略であり、このような社会においては、目指すべきゴールを決め、それをいかに効率よく達成するかを考えるよりも、ただひたすらに頑張ることが求められ、実際にそうすれば成果が出ていたわけです。

・アップルという会社をIT企業と捉えるよりも、ファッションの会社だと考えた方がいいかもしれない。提供している最も大きな価値は「アップル製品を使っている私」という事故実現欲求の充足であり、「あの人は、そのような人だ」という記号だから。

このような社会において、論理と理性に軸足をおいたサイエンス主導経営は、競争力をやがて喪失していくことになる。求められるのは、外側に探していくような知的態度ではなく、提案していくような創造的態度での経営。

・現在起こっているのは「正解のコモディティ化」。ファクトベースのコンサルティングビジネスは、手法さえ学んでしまえば、一定レベル以上の知的水準にある人なら誰にでも提供可能なサービスだからです。

・ベネディクトの「菊と刀」によれば、世界の国は「罪の文化」と「恥の文化」の二つに大別される。道徳の絶対的基準を説き、良心の啓発に頼る社会は「罪の文化」。恥が主要な社会的強制力になっているところでは、告解僧に対して過ちを公にしたところで、ひとは苦しみの軽減を経験しない。「罪」は救済できるけど、「恥」は救済できない。「恥の文化」では告解という習慣はない。ただ「自分が所属している組織」において、他者が、自分の行動をどのように判断するかを想像しさえすればよく、他者が依拠しているルールや規範に沿って行動するのが懸命であり、さらには優秀である。

・「狭い世間の掟」を相対化し、その掟がおかしいと見抜く判断力を身に着けるか、一つは労働力の流動性を上げる。異文化体験を持つ。もう一つが、美意識を持つ。

・最適化していることで、様々な便益を与えてくれるシステムをその便益に拐かされずに、批判的に相対化する。これがまさに求められる知的態度だ。

・「すぐに役立つ知識はすぐに役立たなくなる」ので基礎教養が重要である。

・システムの内部にいて、これに最適化しながらも、システムそのものへの懐疑は失わない。システムの有り様に対して発言力や影響力を発揮できるだけの権力を獲得するためにしたたかに動き回りながら、理想的な社会の実現に向けてシステムの改変を試みる。

・「ある日神様がやってきて、鐘をガランガラン鳴らしながら、「今日から新しい時代が始まりますよ」というように転換するものではない」。なんとはなしに「このままでは何かがおかしい」と感じて行動をあらためる人が、少しずつ増えていくことで歴史というのは転換していくものなのです。

おカネの教室 僕らがおかしなクラブで学んだ秘密

読み物としても面白い。

”かせぐ”、”もらう”をどうとらえるか。”必要悪”、”ダニ”は、この本で定義するのはどういうことか、物語の中で分かるようになっている。

 

ネタばれすると、表紙にある6つ目の方法は?の答えが本の締めで、「信用創造」がどいうことかというのが最後に説明される。

恋のトリセツ

「妻のトリセツ」が職場で流行った、黒川伊保子さんの本。なんというか、作者の恋関係のエッセイ集。申し訳ないけど、「それ、あなたの感想ですよね」というのが先にたつ、勿論、この本に書かれた以上に最適な論のデータは自分は持ち合わせていない。

・男は彼女だけが知る秘密を作ろう。他の人が知らないことを知っている余裕が、彼女を疑心暗鬼から救ってくれることがあるから。女は沈黙を楽しむ余裕を持とう。傍らにいるひとに「安寧な沈黙」をもたらす。

・私が所有できない彼の時間を埋めるのは悲しい。「昨日は何をしていたの?」「明日はどうするの?」という質問をしない。→感想:カサブランカだな。「そんな昔のことは覚えてない」「そんな先のことは分からない」

・少女がおとなになる術と、少年がおとなになる術は、まったく違うオペレーションになるわけだから。

・「親に誉められる娘」として自我の輪郭を書き、「恋人に愛される女」として、また自我の輪郭を描くのである。子どもを産めば、しばらくは母親としての使命感に深く支えられる。「承認欲求の呪縛」

・亭主はぼんやりしているふりをして、彼女に先導されて歩くのが一番覚えめでたいのであって、けっして効率的な暮らしをしようとなんか思っちゃいけないのだ。

・舌に強い前向きの力を加える音に続いて、肺の中の息を全部出し切る音が連なるおかげで、息が足りなくなり、一息つくことになる。

・男の正体は億劫がりなのであって、女の誹りを受けて立つほうがさらに億劫なので、それを隠す程度に動いてみせる。その正体を見せてしまうのは、よほど見くびった場合か本当に信頼した場合しかない。

・息を呑んだ後の呼気を待って、抱きしめてやるのだ。息を吐く瞬間の抱擁は効く。

 

 

 

文中でいくつか出てくるが、”発音→連想/想起される感情”をこの作者の中に持っている(情緒を工学として扱う研究者らしい)。検証していないが、ご本人には50音分はありそう。そこから思うのは、<まだ名前のない感情に対して、矢印を逆方向に効かせて音を作り、新しい単語を作れそう>な気がする。とはいえ、多分"発音→感情"は現時点で全員に対して共通化できるほど整理されてはいないと思うし、”→感情”の部分は多数ルートがあるので逆向きに使うのは難易度が高そう。

脳にいいことだけをやりなさい

・「セロトニン」が多いと、前向きで、自身にあふれ、適応力があり、穏やかである。。「カテコールアミン(ドーパミン、アドレナリンなど)」が多いと、エネルギーにあふれ、明るく機敏である。。「GABA」が多いと、リラックスしていていストレスを感じない。。「エンドルフィン」が多いと、気分がよく、喜びや幸せを感じる。

 

セロトニンは心を「ホッ」とさせてくれる。GABAは興奮を「クールダウン」させる。カテコールアミンは「がんばる」気力をもたらす。エンドルフィンはストレスへの抵抗力を高めてくれる。

フロー体験 喜びの現象学

「フロー」というものに興味があって、チクセントミハイの本を読み始めたもの。思っていたよりも古い模様。

 

・最適経験を促進するこの家庭状況は、5つの特徴をもつもの。

第一は明快さである。両親が自分に何を期待しているかがわかっている、目標/フィードバックは明瞭である。第二は中心化である。子供が現在していることや具体的な感情、経験に関心をもっているという子供の認識。第三は選択の幅である。規則の破棄を含めて、幅広い選択の可能性を持っていると感じている。第四は信頼。防壁を安心して取り除くことができ、人の目を気にすることなしに没入することになることを認める、子供への親の信頼である。第五は挑戦、複雑な挑戦の機会を子供に徐々に課していくという親の働きかけである。

・互いに相手の中に新しい挑戦目標を発見するという努力なしに、また関係を豊かにする適切な能力を身につけることなしに、互いの退屈の肥大を防ぐことは不可能である。

愛を新鮮な状態に保ち続けるにはどうすればよいか。その解答は他のすべての活動の場合と同じである。楽しいものにするためには、二人の関係はより複雑なものにならねばならない。より複雑なものになるためには、二人は自分の中に、またお互いの中に新しい可能性を見つけ出さなければならない。それらを見つけ出すためには、相手の心の中にどのような思考が、感情が、夢が住んでいるかを知るため、お互いに注意を注ぎあわねばならない。他者を真に知り始めると、たくさんの共同の冒険ができるようになる。一緒に旅行する、同じ本を読む、子供を育てる、計画を作り実現するなど、すべてはより楽しく意味のあるものになる。互いにどれが相手の状況に適合するのかを見つけなければならない。

・「生きること」のラテン語はinter hominem esse、「人々の間にいる」。「死ぬこと」のラテン語はinterhominem esse desinere、「人々の間にいることをやめる」。

・数十年前までは両親と子供たちは外発的な理由によって関係を維持することを強いられていたので、一緒に生活する傾向があった。料理や家事をまかなうものを必要とし、ベーコンを持ち帰るものを必要とし、食べたり眠ったり世に出たりするために必要とした。最近の家族はこの外発的理由が徐々に減少してきた結果である。しかし、外発的理由は唯一の理由ではない。家庭の中でしか経験できない喜びや成長の素晴らしい機会があり、これらの内発的報酬は昔も今も変わらない。たゆまず努力する家庭は、意志に反して結びついている家庭よりも、家族の自己をより豊かに成長させるうえで優位に立つことになるだろう。

・フローを作り出すために、家庭はその存続のための目標をもたねばならない。外発的理由だけでは不十分である。心理的エネルギーを共通の課題に集中させるためには、積極的な目標が必要である。その目標のいくつかは特定のライフスタイル(理想的な家庭を作る、子供たちにできるだけ良い教育を受けさせる、俗化した社会の中で宗教的生活様式を履行するなど)を計画するなど、ごく一般的なものであり、長期的に追及されるものだろう。このためには、家庭は差異化されているとともに統合化されていなければならない。差異化とは家族のそれぞれが独自の特性を発展させ、個人の能力を最大に発揮し、自分自身の目標を設定することが推奨されることを意味している。これに対し統合化は、個人に生じたことが、他の家族全員に影響を及ぼすということである。子供が学校でなにかを達成したことを誇りに思うなら、残りの家族はそれに注目し、同じように誇りに思うだろう。もし母親が疲れ、気を落としていたなら、家族は母の手助けをし励まそうとするだろう。

他のすべてのフロー活動と同じく、家族の活動も明瞭なフィードバックをもたねばならない。この場合、それはただ、コミュニケーションの通路を開いたままにしておくということである。

・時とともに相手をよく知るようになり、明瞭な挑戦は消失する。月並みな手は使い果たしてしまい、相手の反応はあらかじめ読めるようになってしまう。この時点で二人の関係は相互の便宜のために生かされてはいるが、楽しさを回復したり複雑さを高めたりしそうもない退屈な日常となる危機に陥る。二人の関係にフローをよみがえらせる唯一の方法は、関係の中に新しい挑戦をみつけることである。その中には、食べる、眠る、買い物をするなどの日常を変えるというような単純なものや、新しい話題についてともに語り合う、新しい場所を訪ねる、新しい友人を作るよう努力することなどが含まれよう。さらに、何よりも相手の複雑さに注意を払うこと、初めのころに必要とされた以上に深いレベルで彼女を知るようになるkと、年月がもたらす避けられない変化を越えて、思いやりと同情をもって彼を支えることなどが含まれる。複雑な相互関係は遅かれ早かれ二人は生涯支えあっていく準備ができているだろうかという大きな問題に直面する。その時、まったく新しい挑戦が現れる。一緒に家族を養うこと、子供が手から離れたら地域社会により広く参加すること、共働きをすることなどである。いうまでもなく、これらは多くのエネルギーと時間を投入しなければ実現できないが、経験の質に関しては普通、投入した以上の成果を得られる。

・音楽家は数日以上も練習を休んだ後にトランペットを巧みに吹くことはできない。規則的に走らない競技者はやがて調子を崩し、走ることを楽しむことができなくなる。すべての企業主は、自分の注意が散漫になれば会社が傾き始めることを知っている。いずれの場合も注意の集中なしには複雑な活動はカオスの中に解消してしまう。家庭だけがこれらと異なるはずはない。無条件の受容、家族が互いにもつべき完全な信頼は、惜しみない注意の投入を伴ったときにだけ意味のあるものになる。そうでなければ、それは空虚なジェスチャ、無関心と変わるところのない偽善的見せかけにしかすぎない。

・交友は表出的な挑戦を続けない限り楽しいものとはならない。人がただ自分の外向けの仮面を再確認するだけの「友人」、自分の夢や願望について何も問いかけない「友人」、自分に新しい生き方を強く勧めない「友人」に囲まれているとすれば、交友が与えてくれる挑戦の機会を取り逃がしていることになる。真の友人とは時には一緒に馬鹿げたことができる人であり、いつも誠実ぶっていることを期待しない人である。それは自己実現という目標を共有する人であり、したがって経験の密度を高めようとする際に常に付随する危険をすすんで分け合おうとする人である。

・ある人がストレスによって強さを獲得するのに、ある人は弱くなるのか、その答えは、望みのない状況を統制可能な新しいフロー活動に変換できる人々が自分を楽しみ、試練の中から更なる強さを獲得するのである。①自意識のない自己確信。自分の運命は自分が握っているという信念を暗黙のうちに持っている。②あらゆるものへの注意集中。心理的エネルギのほとんどが自我の関心や願望に吸収されていると環境に注意を払うことは困難である。③新しい解決の発見。一つは自分の目標の達成を妨害するものに注意を集中し、それを除去することで意識の調和を取り戻す。第二の方法は自己を含めて状況全体に注意を向け、より適切と思われる他の目標を立て、異なる解決法をさがすことである。

・真剣に取り組まない限り、目標は多くの効果を生むことはできない、目標と目標が要求する努力との間には相互関係がある。目標は最初はそれが要求する努力を正当化するが、後になると目標を正当化するのは努力である。人は自分の配偶者が人生を分かち合うに値すると考えるから結婚するのであるが、結婚後はそのことが真実であるかのように振舞わなければ、夫婦の共同関係は時とともにその価値を失うだろう。

 

人を動かす

Dカーネギーの有名な本。

 

目次がほぼすべてか?各章で事例紹介。

自分にできていないと思うことをメモしておく。

・人を動かす:重要感を持たせる/人の立場に身を置く。

・人に好かれる:誠実な関心を寄せる/関心のありかを見抜く。

・幸福な家庭をつくる:長所を認める/ささやかな心づくしを怠らない/礼儀を守る。

 

人を説得させるにあった、"イエス"と答えられる問題を選ぶ/しゃべらせる/思いつかせる、あたりがヤラレタ気もする。xxですよね、yyですよねとイエスを言わせ、zzなのはなぜですか?どうしてですか?としゃべらせ、考えさせる。

 

礼儀は、いわば結婚生活の潤滑油である。

男が仕事にそそぐだけの熱意を、なぜ家庭にもそそげないのか、その理由が、女性にはわからない。妻を思いのままに動かす術を、夫はみんな知っているはずだ。少しほめてやれば妻が満足することを、夫は承知している。古い服でも、それがよく似合うといってやれば、妻は最新流行の服を欲しがらないことも知っている。妻の目にキスをしてやると、彼女の目は見えなくなり、唇にキスしてやれば、ものがいえなくなることも、夫は十分に心得ている。夫はそれくらいのことは十分知っているだろうと、妻は思っている。彼女は自分を喜ばせる方法を夫に教えてあるはずだ。にもかかわらず夫はその方法を用いようとせず、彼女と争って大損失をこうむっても、お世辞をいうようりはましだとでも思っているらしい。これでは妻が腹を立てるのも当然だ。